スペインのイスラーム都市ーセビーリャ歴史編ー

イスラーム文化発信

みなさん、こんにちは。

なかなか夏の陽気が懐かしくなる天気ですね。

まうずは、少しずつ夏のイラン渡航に向けて準備を始めています。

さて、今回はかつてのイスラーム・スペインの一大都市セビーリャの紹介です。

以前紹介したコルドバから中心都市の座を奪い、栄華を極めた都市の魅力に迫ります!

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セビーリャ概要

セビーリャは、人口約70万人のアンダルシア州の州都です。

規模はマドリッド、バルセロナ、バレンシアに次ぐスペイン第4の都市となっています。

都市自体は古代ローマ以前のフェニキア時代から存在しており、歴史遺産が豊富に残っています。

また、文化都市としても近年は有名になってきています。

観光名所の1つであるスペイン広場は、映画「アラビアのロレンス」や「スターウォーズ/クローンの攻撃」のロケ地として使われました。

また、1992年には万博が開かれ、現在もモダンアートをセビーリャ各地で見ることができます。

スペイン南部でも古きと新しい文化を両立させている都市と言えそうです。

Google map

セビーリャの歴史

街の起源

この街の起源は、紀元前8世紀ごろのタルテッソス文明にあるとされています。

しかし、当時の街の様子などについてはあまりよくわかっていません。

次に、セビーリャが世界史上で出てくるのはローマ時代になります。

「アンダルシアを知るための53章」によれば、

「前2世紀初頭、知将大スキピオ率いるローマ軍が半島に進攻し、半島支配をめぐるカルタゴ人との戦いに勝利した。前206年、第スキピオは現地で傷病兵を療養させるための植民市をバエティス川(現在のグアダルキビル川)近くに建設した。これがイタリカ(現セビーリャ市近郊のサンティポンセ)で、半島初のローマ植民市であった。」

立石、塩見(2012)

このように、セビーリャやその近郊はローマ帝国がイベリア半島に進出してすぐに重要な拠点都市として認識されるようになっていきました。

ただし、その後ヒスパニア属州のバエティカ州になると、その首都機能はコルドバに置かれ、あくまでアンダルシアの主要都市の一つという位置付けだったようです。

イスラームによる支配と繁栄

ゲルマン人の侵入によってローマ時代が終わると、ヴァンダル族、西ゴート人による支配を受け、セビーリャを始めとするスペイン各地の都市は一度破壊されました。

ただ、いずれも市民の多くはローマ・ヒスパニア人だったので、あくまでも統治システムはローマ時代のものが引き継がれて使われたようです。

そんな中、711年に西ゴート王国が滅亡し、イスラーム教徒による支配が始まります。

それにあわせて都市名もイシュビリーヤ(إشبيلية)と現在のセビーリャの元となる名前が付けられることになりました。

コルドバを紹介した記事の中で触れたように、アブド・アッラフマーン3世の治下でコルドバが繁栄したのち、後ウマイヤ朝が滅びると、中心がセビーリャに移ります。

「アッバード朝の宮廷には、滅亡した後ウマイヤ朝の首都コルドバから逃れてきた文化人が数多く集まり、セビーリャは詩や自然科学などのアンダルス文化の一大中心地へと成長した。」

立石、塩見(2012)

しかし、11世紀にキリスト教徒諸国のレコンキスタが本格化すると、アッバード朝は弱体化、モロッコで基盤を固めたムラービト朝やムワッヒド朝に統治されることになりました。

特に、ムワッヒド朝の君主は首都マラケシュとセビーリャの間を頻繁に往復していたため、アンダルスと北アフリカを統治する王国の副都としての役割を果たしていました。

結果、当時のイスラーム世界でも屈指のモスクが建てられるなど、北アフリカとの文化交流が必然的に進むことになったのです。

レコンキスタとコロンブスの「アメリカ発見」

一度は、北アフリカの強力な王朝の治下で、キリスト教国の支配を押しとどめたアンダルシアでしたが、ついに1248年にセビーリャはキリスト教国であるカスティーリャ王国に征服されます。

キリスト教徒による支配が始まると、イスラーム教徒の追放や自主退去が起こり、イスラーム教の宗教施設がキリスト教建築物に転用されていくことになりました。

例えば、下の写真のヒラルダの塔は以前モスクのミナレットだったものを大聖堂の鐘塔に転用したものです。

さらに、レコンキスタ完了後、コロンブスがアメリカを「発見」します。

その出発地点はセビーリャでした。

再び「アンダルシアを知るための53章」を引用すると、

「セビーリャは内港ではあるものの、グアダルキビル川を使うことで大西洋へのアクセスが容易であったため、15世紀にはすでにヨーロッパとアフリカを結ぶ交易ネットワークに組み込まれていた。さらにコロンブスの新大陸「発見」以降は、インディアス貿易の拠点として飛躍的に発展し、人・物・情報が行き交う国際的な都市へと変貌を遂げた。」

立石、塩見(2012)

その後、大航海時代の終焉に伴い、世界史の舞台はスペインからポルトガル、オランダ、イギリスと移り変わっていきますが、セビーリャはその後もアンダルシア地方の中心都市であり続けています。

大航海時代に建てられた黄金の塔

最後に

先月ご紹介したコルドバに引き続き、現在のイスラーム教圏から外れてセビーリャの歴史をご紹介しました。

アンダルシアには魅力的な都市・建築が多く見られます。

しかし、セビーリャがその中でも建築遺産の多様さが際立っているのは、絶えずアンダルシアの中心都市であり続けたからというのも1つだと思われます。

次回は、そんなセビーリャの見どころを丁寧に紹介していきます!

<参考文献>

・立石博高、塩見千加子編著『アンダルシアを知るための53章』東京 : 明石書店, 2012.11.

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